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2015-08-22
幸せな家族旅行が一変、一台の白いスポーツカーが不幸を運んできた結果…

幸せな家族旅行が一変、一台の白いスポーツカーが不幸を運んできた結果…
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前半まで楽しかった四国への家族旅行。ある出来事が家族を不幸のどん底へ。隣にやってきた白いスポーツカー。運転するのは若い男女。この男女がやらかしたある出来事が幸せだった家族を襲います。一体どんな不幸が待っているのでしょうか?

今から30年ほど前、小学5年生の頃、家族で四国旅行に車で出かけました。母が運転し、助手席に祖母、後ろの座席に妹と私が乗りました。四国に行くのは初めてだったので、とても楽しみにしていたことを覚えています。

坂本竜馬にあこがれていたので、土佐に行くのが楽しみでしたが、帰る間際まさかあんな不幸なことに出くわすなんて、夢にも思いませんでした。

坂本竜馬記念館等にも行き、桂浜の竜馬像と写真を撮りました。香川でうどんも食べたりもしました。これで家族旅行がすんなり終われば良かったのですが、次の目的地を決め、地図を見るために駐車場に車を止めたときです。

四国旅行も終わりに近づいていました。少し窓を開け、楽しかった思い出を振り返り、呆然と車外を眺めていました。雲は流れ、風は心地よく、近くを流れる川のせせらぎに耳を傾けていると、疲れているせいか、私はうとうと寝ってしまっていました。

ドンッ!!

まだ眠りが浅かった頃、座席を揺るがすくらいの衝撃が私を動かしたのです。
閉じていた瞼を一生懸命に開き、車内で座っていた家族を見渡すと、助手席に座っていた祖母は、なぜかフロントガラスに頭をぶつけてしまっていました。

フロントガラスの半分が割れて、粉々になったガラスが祖母の頭や顔に刺さっていました。
刺さったところからは、まるで涙のようにひたひたと血がしたたり落ちていました。

車の左前に白いスポーツカーが止まっていました。
なんと私たちの車に衝突してきたのです。

私たちの車は出発する直前だったので誰もシートベルトをしていなかったことが、大惨事を引き起こしたのです。

すっかり目が覚めて、運転席に座っていた母に視線を向けると、ハンドルに上腹を打ち付けていました。
そのまま隣の席に座っていた妹に目をやると、首元を手でさすりながら、涙を流していました。
「痛い痛い・・・」

車内は見るも無残な光景で、私は言葉を失っていたのです。

衝突してきた白いスポーツカーには男性と女性のカップルが乗っており、
スポーツカーの女性は自分の頬をハンカチで覆って車外に出てきました。
女性の足元はおぼつかなく、よろよろしていることが分かりました。

衝突時の衝撃で車がだいぶ前の方に動かされていました。
衝突してきたスポーツカーも右前の凹みがひどかったのを覚えています。

私は奇跡的に打ち身だけでした。
その時、すぐに言葉を話すことができたのは、私だけでした。

「助けを呼びに行けるのは私しかいない」と考えた私は、「おばあちゃん、大丈夫だからね・・・」と、心のこもった声で車外に出て、助けを呼びに向かいました。

ちょうど、車の衝突音に気付いて近所のお店の方が出てきてくれました。
祖母の状態とわかっていることをお店の方に伝えると、すぐに、救急車を呼んでもらえました。

救急車は5分ほどで来ましたが、待っている間がとても長く感じられました。祖母の苦痛を考えるといたたまれないのです。

母と一緒に祖母は救急車で運ばれました。

現場に残された私たちは、衝突した車を確認すると左前がへこんだ状態だけだったので家族全員の荷物を取り出すことはできました。

衝突してきた白いスポーツカーの男女は、警察の取り調べを受けるために最寄りの警察署に連行されました。
車は動かすことができなかったようで、その場に置いていかれました。
女性の頬の安否が気になりましたが、その後連絡はなかったようです。

事故現場からほど近く、私と妹は急遽手配してもらった旅館に一泊することになりました。
旅館では妹の首の手当てをしてもらっているところを見ると、さっきまでの騒然としていた現場を思い出します。
私は肘の打ち身だけだったので、湿布を貼って様子を見るように言われましたが、気になったので、後日病院に行くことにしました。

救急車で祖母に同乗していった母が戻ってきました。
お腹を見せてもらうと、ハンドルの跡がくっきりと残っていました。その夜、母に祖母の容体が安定してきたことを聞きました。嬉しくてすぐにでも祖母に会いたい気持ちでいっぱいだったのを覚えています。

とても危険な手術だったそうです。

次の日、私と妹は、先に自宅に帰ることになり、祖父と叔父が迎えに来てくれました。
母は祖母を看るために遅れて帰ることになりました。しばらく祖母は四国の病院で過ごすことになったのです。その病院では粉々になったガラスの破片をすべて取り除くことができず、まだまだ手術が必要だと診断されたそうです。
祖母が一命をとりとめたことで安堵しました。

私は精神的にも安定してきて、無事に学校に通えるくらいまで回復してきました。学校では事故の連絡は入っていたので、クラスメートも先生も大変心配してくれていました。でも祖母がまだ入院中なのでそれほど嬉しくはありません。
私は、湿布だけで済んでラッキーだったと思います。もし祖母のように重症だったら、クラスメートや先生にもあることはおろか学校にさえくることはできなかったのです。

四国への初めての家族旅行は事故のために大惨事で終わりました。
とてもいい旅行だっただけに残念でなりません。
祖母は1~2ヶ月の入院で済みました。しかし頭のガラスはすべて取り除くことができず、少しずつ手術をして取り除くことになりました。額に大きな傷跡が残ったので、傷跡を見るたびに事故のことを思い出すとショックでなりません。

母のお腹のハンドルの痕はなかなか消えませんでした。お風呂に一緒に入って時々確認しました。
私は子供ながらに、分かりました。「母はいつも笑顔で私を見てくれていたので、事故のことを早く忘れさせてくれようと必死なんだ」と。

妹の首の痛みもなかなか治りませんでした。

妹も私と同様、学校に通っています。しかし、体育などの運動はできず、体を動かすことが大好きだった妹が惜しくてなりません。

私はと言うと、毎日打ち身の湿布を肘に貼って様子見でした。
病院に行こうと思っていましたが、傷が浅くしばらくして、痛みも消えていきましたので止めました。

事故とは他人事だったのが、突然、自分達の身に起きたのでなかなか落ち着きませんでした。あれから時々事故の夢を見るようになりました。本当に良かったのが、祖母が一命をとりとめたことです。

記事提供:Arrayさん

249planet みんなの体験談で井戸端会議

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