
とても正気とは思えない自己中心的な母。最期に言い残した言葉が狂気の沙汰状態。
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普通の親子の関係なら、子供には不自由をさせたくないと思いやるのが一般的であると思います。ただ世の中は不思議なもので、あまりにも自己中心的な母親もいるものです。今回紹介するお話は、自己中すぎる母親が最期に残した言葉があまりにも破天荒なものだったのです。もはや呪いの言葉としか思えないのです。
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私は、両親にとっては実子でしたが、
父が前妻との離婚が成立していない時期に母と生活を開始したために、
離婚が成立する私が小学校6年の終わりまでは、母の子供でありながら、
父の実子という扱いだけの生活を強いられていました。
そのせいもあってか、母はまだ私が小学生にも関わらず、
自分の将来を気にしてか、私にいつも、アナタは結婚もせずに、
私の面倒を見る事がアナタの仕事だから、一生けん命勉強して、
きちんとした仕事を持って、
私の面倒を見れるようにならなくてはいけないというのが口癖でした。
その頃から私は母の言いつけを守るようなロボットのような子供で、
高校生まで過ごし、そのあとは、兎に角母のそばから離れたい一心で勉強して、
大学も都会で独り生活に入り、母の言いつけも守らず、就職も都会でし、結婚もしたのです。
結局、父が他界したのを理由に、私の家族との同居を希望し、
我が家の返事もそこそこの状態の時に、自ら、同居の為に自分の家を処分しての強引なまでの同居が始まったのです。
本当に、自己中心的で私の子供からも好かれる祖母でもありませんでした。
そうこうするうちに、母に認知症の症状と大腸癌が見つかり、介護に精を出す私にも、認知症の影響もあって、ひどい言葉を言い続けて、亡くなったのです。
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その認知症と癌を患ってから亡くなるまでの6年間は、私を心身ともに疲れ果てさせてくれました。
特に、施設に入居したとしても、施設の他の入居者との喧嘩や、暴力沙汰を起こし、
すぐに帰らされる事、5回で、その度に、相手のご家族や病院、介護スタッフに謝りにいきました。
皆さん、母の事を心底嫌っていらっしゃり、その娘である私にもひどい言葉をかけらる始末で、実母ながら、早く亡くなって欲しいと願う事もありました。
結局、2年前に母は大腸癌の手術の結果も良く無く、亡くなりましたが、その前日、珍しく、正気をもどしたように、私が自分の子である事が判ったようで、私の名前を呼んで、こういったのです。
アナタは、私の子供なのだから、私が死ぬときは、必ず、一緒に死ぬのですよ。私が連れて行くから。
その言葉にあぜんとした私は、子供や主人を置いて、一緒に死ぬことは出来ないといったのですが、その言葉に最後の力を振り絞って、アナタを生んだのは、私の面倒を見させる為なのだから、一緒に死になさい。でした。
通常、世間の親は、自分の事はさておき、我が子の健康と幸せを祈るものであるのでしょうが、結局、私の母だけは、自分の事が一番だったのだという事に、ここまできてもまだ私を束縛しようとする母に憎しみよりも、悔しい思いでいっぱいになりました。
そのせいでしょうか・・・未だに、私は母が亡くなった事に対して、涙の一つも見せる事無く、家族と共に生きているのです。
管理人の一言
自分の母親がどうしても好きになれない人は結構多いと聞きます。今回の体験談もほんの一例にすぎません。
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