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2016-01-16
カナダ留学中に、父親の癌余命宣告、そして父と過ごした最後の日々を語る

カナダ留学中に、父親の癌余命宣告、そして父と過ごした最後の日々を語る
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カナダ留学中に知った、最愛の父の余命宣告。病状は深刻で、膵臓癌ステージ4。余命半年となっていました。
そんな状況で、父親のそばにいたいと、彼女は、一時帰国を決意し、その時まで父親と過ごす覚悟をしました。

あれは私が30代前半の時でした。
当時、私はカナダに留学していたのですが、
ある日、弟から電話がかかってきたのです。

弟から電話があるなんて滅多にない事なのでびっくりしましたが、
それが、父親が末期癌であるという内容でした。

聞いた時には何も考えられませんでした。
ショックで、どうすれば良いのかも分からず、
とりあえず母親に電話をして詳しい事を聞くと、
余命半年の宣告を受けたという のです。

あと2ヶ月で通っている学校のカリキュラムが終了するという
大詰めの時期にその事を知り、
私は泣いたり悩んだりしながらも学業を続け、その学科を終えました。

その時には、もう帰国する決心を固めていました。
とにかく一度父親に会わなければいけないと思ったからです。

帰国して対面した父親は、痩せていました。
会った途端に涙が溢れそうになりました。

「帰ってきたよ」と言うと、笑顔で父は「お帰り」と言ってくれました。
病名は膵臓癌、手術は難しい状態で、父は退院し、
定期的に病院に通って抗がん治療を受けていました。

それから、父の看病をしながら一緒に過ごす日々が始まりました。
一緒にあちこちへ出かけました。

父が大好きな山へ行きたいと言うので、二人で一緒に出かけた事もあります。
山の自然に囲まれながら「また来たいなぁ」と言った、
その時の父の嬉しそうな顔は、今でも忘れられません。

病状は落ち着いたかのように見えましたが、
癌は刻々と父の体を蝕んでいきました。

肺にも転移し、定期的な検査結果も悪くなっていきました。
お医者さんが「もう一度入院したほうが良い」とおっしゃりましたが、
父が「どうしても家にいたい」と言うので、自宅療養の道を選びました。

家に電動ベッドや呼吸機が運び込まれ、
点滴の準備も私がする事になりました。

母と私、どちらかが必ず在宅し、父のトイレや食事、
タオルで体を拭くなどの仕事を続けました。

正直なところ、この頃は私も疲れ、精神的に辛い時もあり、
父に八つ当たりをしてしまったことがあります。

そんな時、父は悲しそうに「ごめんね」と言いました。
そんな父を見て、私も悲しくなってしまい、
意地悪なことを言ってしまった自分を激しく責めました。

日毎に元気のなくなっていく父を見るのは本当に辛いことでした。
弱っていく父は変わらず優しく、父として娘の私を気にかけ、
「ありがとう」とお礼を言ってくれます。

私には、父がこのまま癌に負けてしまうなんて想像できませんでした。
あと半年、あと1ヶ月、とにかく生きて欲しいと思いました。

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